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東京地方裁判所 昭和40年(特わ)579号 判決

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和四〇年七月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し、台東区から立候補した川俣晶三のため、別紙一覧表記載のとおり、同月七、八日頃から同月一〇日までの間同選挙区の選挙人である東京都台東区浅草田中町三丁目一一番地藤井静子方ほか三名宅を戸々に訪問して、同月一〇日午後七時から同区浅草日本提二丁目八番地所在待乳山小学校で開催される同候補者の選挙演説会に来聴を求め、もつて選挙運動のため戸別に演説会の開催を告知して戸別訪問をしたものである。

(弁護人らの主張に対する判断)

一(公訴棄却等の申立について)

弁護人らは、「被告人は浅草地区商工業者が苛酷な税制に反対し、自らの営業と生活を守るために結成した民主的組織である浅草商工会事務局員として職務に精励していた者であり、本件は都議会議員選挙における日本共産党候補川俣晶三の選挙運動に関連して起つたものであるが、被告人に対する本件起訴は、かねてから日本共産党および商工会を敵視する警察検察一体の弾圧行為である。すなわち、警察当局は川俣候補を必ずやつつけろという方針のもとに各種の不当な捜査活動を行ない、ために川俣候補は惜しくも落選したのである。本件の起訴は、この不当な捜査とともに一連の弾圧過程をなすものであり、明らかに不当に政治的に差別して公訴権を鑑用してなされたものであるから、公訴棄却ないし無罪の裁判を求める。」旨主張する。

しかし、被告人に戸別訪問禁止の規定に抵触する行為の存すること(そして、前掲関係証拠によると、被告人において現に判示戸別訪問の罪を犯していることは明かである。)を知り得た捜査官が被告人の刑事責任を明かにするため、その証拠を収集する等必要な捜査活動を行なうことは当然のことであり、そして、その結果として、かりに本件川俣候補の選挙の帰趨に事実上不利な影響を及ぼしたことがあつたとしても、やむを得ないところである(なるほど、関係証人の供述中に現われた捜査官の本件捜査活動の過程において起つたある現象だけをとらえてみると、やや大げさな感を与えるふしもないではないけれども、これもいたずらに右川俣候補の選挙妨害のみを目的としてなされたものとまでは認め難い)。そして、本件審理の全過程を通じてみても、本件の捜査が右の程度を超えて本件川俣候補の選挙妨害のみを目的としてなされたとか、本来本件は公訴の提起をなすべきでない事案であるのに、日本共産党あるいは商工会を敵視してこれを政治的に差別し、あえて本件を起訴したものと認むべき証左はない。その他本件公訴の提起を違法無効ならしめる事由ないし本件につき戸別訪問の罪の成立を妨げる事由も認められない。よつて本件について、公訴棄却ないし無罪の裁判を求める弁護人らの主張は採用することができない。

二(公職選挙法一三八条は憲法二一条に違反するとの主張について)

弁護人らは、「憲法二一条は表現の自由を保障している。公職選挙法一三八条が戸別訪問という形態による言論活動を制限していることは明白である。これは右憲法の規定に違反するものではないか。この点についての指導的判例である最高裁判所昭和二五年九月二七日判決は、『選挙運動としての戸別訪問には種々の弊害を伴うので』憲法二一条に対する合理的制限としてこれを禁止することは、違憲でないとしている。だが、この判決は次の二点における批判を免れない。すなわち、その第一は、戸別訪問禁止は、現在においてすでに合理的存在理由をもたないのである。英国が一八八三年に腐敗行為防止法を定めて買収腐敗自体の防止を図り、日本のような戸別訪問等の選挙活動制限の途をとることなく実効を収めていつたことを参照すべきである。第二は合理性の基準そのものについてである。今日もはや違憲審査の基準としての合理性の基準は十分でなく、すでに米国最高裁判所判例において確立している『明白かつ現在の危険』の基準にかえらるべきである。戸別訪問禁止について、因果関係の明白性だけについて考えてみても、戸別訪問とその害悪―買収等の不正行為―との間に明白な通常の意味での因果関係はなく、単に随伴関係があるにすぎない。かかる随伴関係をも因果関係というとしても、その関連は蓋然性ですらなく、単なる可能性にすぎない。すなわち戸別訪問と買収その他の不正行為という害悪との間には因果関係の明白さがなく、この一事だけでも戸別訪問禁止の違憲性は明らかであるというべきである。」旨主張する。

おおよそ選挙の目的達成上必要とされるものは選挙の自由と公正であり、したがつて選挙運動に最大限の自由が許容されるべきであると同時に、それが公明適正に行なわれるべきものであることは言うまでもない。公職選挙法一三八条は、買収等の不正行為を伴う機会が容易に誘出され、選挙の公正を害するおそれがあるものとして戸別訪問を禁止しており、そして弁護人挙示の最高裁判所大法廷判決は、「憲法二一条は表現の自由を絶対無制限のものとして保障しているのではなく、公共の福祉のために、その時、所、方法等につき、合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきである。」として選挙運動としての戸別訪問を禁止した規定が憲法二一条に違反しない旨判示している。思うに、表現の自由の保障が民主主義国家成立の基盤であることにかんがみれば、選挙運動の自由の制限については、慎重な配慮がなされるべきことは当然である。そして、弁護人所論のとおり、英国では、選挙運動期間中戸別訪問を行なうことを認めている。このことは、英国においては、それだけ表現の自由の制限が少ないということ、そして選挙運動として戸別訪問が行なわれても、それが買収等の不正行為の温床となるおそれがないことを意味する。しかし、わが国において、公職選挙法が施行されてからすでに十数年間を経過し、その間数多くの選挙が行なわれたが、つねに買収等に汚染された悪質な選挙違反が繰り返されてきたことは周知のことである。かような選挙事情をかえりみると、法と秩序を尊重する真の意味の民主主義の基本理念が被選挙人ならびに選挙人一般に一段と浸透し、選挙運動として戸別訪問を行なつても買収その他の不正行為が誘発されるおそれがないとされる程度の水準に達することが何よりもまず要請されるのであつて、わが国社会の現段階にあつては、公職選挙法一三八条が公正な選挙という見地から戸別訪問の禁止を定めていることは、その結果として言論自由の制限(表現の自由に対する制約)をもたらすことがあるとしても、やむを得ないものと考えられ、この戸別訪問禁止の規定が弁護人ら主張のように直ちに明らかに憲法二一条に違反するものということはできないと考える。よつて弁護人らの主張は採用できない。(相沢正重)

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